集中と分散
集中と分散というのはIT業界にいる人間にとっては永遠のテーマであり、周期的な流行りというものもあります。
自分自身は、Hadoop、ブロックチェーンと、分散の5年間を過ごしています。基本的には、反体制、反集権、小が大を喰う、群雄割拠といった世界が好きだし、みんなの力で成し遂げるという感情が好きなので、分散な世界が好きです。
一方で、科学が好きな人間としては、やはりポテンシャルがどこかに落ち着くという集約の世界観も好きだったりもします。ただ、その極小値が本当に極小なのか、たまたま山に囲まれたところであって、実はその山を超えた先に永遠の安堵となる極小値があるのではないか、と考えると、やはりモンテカルロ的なふらふらした生き方も重要だなと思ったりします。
なんのことかわかりません。
大学でブロックチェーンの講義をした
これは年末のことですが、たまたま助教授が高校の先輩だということもあり、とある有名私立大学の学部生の講義でブロックチェーンの講義をさせていただく機会を持ちました。授業自体は「ソーシャルメディア論」ということで、平たくというと、AIやロボットといった新たな技術が生み出す社会に対して、人間はどう対応し、またどう変化していくのかを考えるといった内容の授業、、だと認識しています。
その中の1回としてブロックチェーンについて、2クラス分の講義をさせていただきました。大体1クラス20−30名ぐらい。3−4年生が多かったようです。
事前に考えたこと
助教授には「いつも企業に話している内容でいいよ」と言われたのですが、さすがにそれだとさっぱりわからないと思い、同じ資料内容でも、どういう流れ、どういうストーリーで伝えるべきか、考えました。
その結果、タイトルは
「ブロックチェーンから考えてみるこれからの社会、企業、働き方」
「考えてみる」というのは一緒に考えたいという思いであり、「から」をつけたのは、単にブロックチェーンを理解することを目的とせずに、それを起点に少し先の社会を考えてみるきっかけにしたい(結果としてバックキャスティングなアプローチをとったときに必ずしもそれを実現するのはブロックチェーンでなくてもいい)との思いがありました。
事前にこんなことを話したいなと思っていた論点は以下の3つ
・今の仕事、社会人として、どんなことをやっているのか(こんな職種、生き方もある)
・ブロックチェーンとは何でどこに使えるか
・ブロックチェーンの考え方(特に自律分散な組織や社会)を社会に適用すると、社会や企業、人間の生き方はどう変わるのか
・このようなバックキャスティングアプローチでの未来創造の可能性と限界
実は2点目3点目を議論したくて最初に提示、4点目は話が進んだらと思っていました。結果としてそれはやはりあっていて、2点目、3点目が僕から伝えたポイントであり、議論の中心となりました。
まあ当日の資料公開してもいいのですが、ベシャリ以外はいつもと同じなので、割愛。
そういう仕事のやり方しちゃうから、仕事分散できないんだよね。。
議論のポイントだったこと
僕の期待としては、「自律分散な組織や社会」の可能性と限界を議論したかった。よって、「こんな素晴らしい社会になる」「いやそれは素晴らしい社会ではない、無理だ」という話になることを期待していました。
が、(途中、情報活用へいろいろ議論が脱線したこともあったと、説明が難しかったのかもと反省もしていますが)学生の質問、議論、反応のポイントは以下3つが大きかったと思っています。
・ブロックチェーンでこんなことできるよね、ここ使えそうだよね、こんなビジネスできそう
・情報が集約される社会が怖い、監視されるのではないか、プライバシーは?
・情報格差が大きい、使えない人との差ができてしまう
1点目は思惑通り。ただ2点目、3点目が出てくることは大きな意外でした。いつも企業に提案する話と、実際のユーザーの生の声のギャップなのかもしれない。それでも、若者はそんなこと気にしないでしょ、って勝手に思い込んでいた自分には意外でした。
レポート
実は授業のあとに、本当にそう思っているのか疑問もあったので、宿題レポートに私からの以下のポイントを入れてもらいました。
・ブロックチェーンでどこでどう使えそうか、またそれを実現するにはどうすればいいか
・データの支配あるいはそのデータに基づいたAIによる人間コントロールについて、どう対応すべきか、ベネフィットとリスクの観点から。
・デジタルデバイドは必ず生まれます。それを恐れるのではなく、それをなくすにはどうすればいいか
そして年末に、提出されたレポートを見せていただきました。いろんなコメント議論がある中で、やはり授業で感じたポイントを議論したレポートが多くあり、さらにいうと全体として「デジタル化が進む社会が怖い」という印象をうけました。
そのレポートを見ながら、いろんなことを年末考えていました。
GAFAは悪なのか?
自分自信の興味もあり、また仕事上、ここらへんの情報にはめちゃくちゃアテンションを張っています。自分でいうのもなんですが、多分社内でもトップクラスじゃないかと自負できるぐらい。
そんな中、特に年末あたりから、2019年のトピックスとして、以下のような記事が立て続けに出ています。それぞれはバラバラではありますが、GAFA脱却という大きな流れの中で、Web3.0、ブロックチェーン、情報銀行といった論点につながる大きな流れだと思っています。
ブロックチェーンがGAFA支配に歯止めをかける、タイトルが非常に興味深い
2019春からなので、知っておくべき。僕も同意です。
Googleはもう終わりだそうです
どれもGAFA=悪といった論点が根本にあるようです。きっとそうしたいという思惑もあるのでしょう。みんなGAFAが怖いのですから。PVも稼げるし。
ただ少しITを離れた一人間として客観的に見てみると、感じるのは、Facebookの情報漏えいが怖いというよりも、「監視されてコントロールされているのでは?」という恐怖のほうが大きいじゃないかと思います。
本当にGAFAは悪なのか
ここまでちょっとざっくりGAFAといっているところに、自分も悪意も感じます。なのでGAFAというより、データを集約しそのデータをもとに何らかのサービスを提供するところ、と広く定義します。
そのようなサービスって本当に悪なのか。
これ数日前の日経記事です。
広告が表示される理由を調べるとさらに驚いた。フェイスブックに吉田さんが買った商品などの情報を提供していたのは、まさにこのポータルサイトだった。これほどの情報共有に同意した覚えはない。吉田さんは「まるで監視されているみたい」と気味悪がる。
「購買履歴や位置情報と組み合わせれば、技術的にはユーザーの潜在意識にまで働きかけて商品を推奨できる」。日系ネット広告大手の幹部は明かす。例えば、結婚記念日が近い都内在住の高収入男性を狙って、その妻が最近「いいね!」を押したブランド宝飾品の広告を打てるという。
なんとなーく、なのですが、読んでいて、恐怖を煽られます。
だから「個人がデータを管理しないといけないのだ」「GAFAみたいなところからデータ主導権を取り戻せ」といった論調に結論されていく。
でも、ぶっちゃけ、自分はこれを見て、便利な世の中になったなあと思うところもあるのです。だって妻が今欲しいものをこっそり教えてくれるなんて、ちょー便利。
経緯を見守るのが好き
昔Amazonが「あなたと似た人はこれを買っています」「これを見た人はこれも見ています」という機能を実装したとき、「気持ちわるい」という声が多かった。
でも今それを実装していないECサイトなんて使いづらいなんてありゃしない。
笑い話じゃないけど、昔、5個リコメンドするうち、3個はAIでの推奨品を出すけれど、あえて2個はランダムに適当なものを出す。だって、5つ全部欲しいものだったら気持ち悪いと思われてしまうからて聞きました。
でも今それやったら、すごい精度の悪いAIだね、って言われてしまう。
人間はそうやって、自分の心情を区分するボーダーを変化させていくのだと思います。最初はこわくても徐々になれていく。で、また事件があると、怖いにシフトしていく。
集中と分散みたいに。
だからどっちが正しいかなんてないし、自分自身もそのときどきでボーダーを変えていく。そういうもんなんだろなと思っています。昔大嫌いだったあいつも、今は大好きだってあるし。5分前に喧嘩しても、すぐに仲直りできる。
ただ、唯一変わらないのは、変わらないものなんて何もないこと、なんじゃないかと。これはずっと変わらず思っていることの1つです。
そして、自分はそういう経緯が好き。新しい技術や新しいものに人間はどう反応し、どう順応していくのか。そして自分自身がその「なにか」をしかけて、人々は、社会はどう反応していくのかを見るのも好き。
そんなこんなことを考えながら、今日も「ブロックチェーン勉強会」という、社内向けの勉強会を実施して、いろんなネタやトピックをぶっこんでみて、みんなのリアクションやレスポンスをこっそり楽しんで見ているのです。
性格悪いわ、ほんと
追記:
重要なことを書き忘れてました。
なんでこんなことを書いたのかというと、上記の社内勉強会の中で、「なぜ弊社がブロックチェーンを出してきたのか」という質問があって、ちょっと嬉しかったからです。