maato’s blog

興味のあることや、これはと思ったことをゆるく情報発信していきます。本ブログで述べられている意見は、私自身の意見であり、所属する団体、企業の見解を反映したものではありません。

平成最後の一般参賀に参加してきて思う子供の時の夢

2019年1月2日。平成最後の一般参賀に参加してきました。

特に政治的、思想的なものはありません、それでもとても素敵な時間だったので、備忘録として記してみます。

あと、国語力が極めて低いので、敬語など不適切な表現とかあったらすいません、、直します。

平成が終わること

今でも「平成」と発表された瞬間を明確に記憶しています。学校も休みで、外は日本海独特の冬の鉛色の空で、2メートルぐらい雪が積もってた記憶があります。学校の人気者だった、よっちゃんが家にきて、二人で発表をみていました。神妙な顔つきの祖母の隣で、「ヘー、セー」とか「ヘー、クセー」とか、くだらないことを話してたことを記憶しています。

それから30年。平成という時代は、ほとんど多くの人にとってもそうであるように、私にとっても生まれて初めて最初から最後までを経験した時代。昭和も確かに思い出深いのですが、所詮最後の10年ぐらいの記憶なので、全ての過程を見ていないわけです。なので平成にはとても思い入れがあります。

だから平成最後の一般参賀には参加したいなと思っていました。

あと、余談ですが、そんな仲良かったよっちゃんは、もうずっと引きこもり状態だ、ということを今年の夏の同窓会でききました。ショックです。

悩んだけどいってみることに

別ブログに書いたけど、1/2は二子玉川の初売りの日。フードショーの福袋の引換券を交換し、帰宅したのが11時。

きっと一般参賀混んでるだろなーってTwitterをみたら、驚愕の書き込みばかり。

 https://twitter.com/tkhrxx74/status/1080271216697520128?s=20

 

 いやいやいや、こりゃ無理だ。。今からいっても間に合わない。

しかもそういえば、息子と公園いこうって昨日約束してしまった。息子も首を立てに振ってくれない。。そもそも、息子と二人で数時間立ちっぱなしで待つってできるのだろうか。。

でも、息子といきたい、息子に見せてあげたい。

40分だけなら待ってあげる、と息子がいってくれたので、まあ、記帳だけでも、と思い、1時ごろ家を出発してみました。

駅〜行列〜入場まで

二重橋駅についたのですが、警官と駅職員がすでに駅の案内ポスターを剥がし始めている。。とりあえず地上につくと、帰る人の列が半端ない。それでもまだ向かう人の列もあったので、とりあえずついていくことに。

どうやら有楽町にいかなくても、二重橋駅から直で並べそう。

横断歩道で警察官が「午前中はすごいことになったけど少し落ち着きましたかね」と話しているのを横耳に、まあとりあえずいって並んでみようかと。

ついてみると、すぐに持ち物検査、ボディーチェック。前情報と異なり、待ち時間なくここまでこれた。そのあと、長い長い行列の後ろに並びます。

このとき、13:50。

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行列はこんな感じ。これがどこまで続くのか、どうなっているのか、いつ入れるのか、、さっぱりわかりません。よーく見るとはるかかなた向こうにも行列が見える。。

そこから息子と待ちました。

近くに毎年参賀されるおばあさんたちがいて、「例年と比べると」「だいたいここから1時間ぐらいかな」とか話を聞きながら、息子としりとりや、あみだくじや、迷路や、ゾロリの本を読んだりして、待ちました。

おやつを忘れたね、って話をしてたら、前のおばあさんが無言でいちご大福くれました。ありがとう、おばあちゃん、でも息子、あんこと餅が好きじゃないのよね。。

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待っている間なのですが、とにかく日差しが暑い、そして空気が乾燥しているから喉が乾く。

あと、全く案内の連絡や放送がないので今どういう状況なのかわからない。しかも大量の人が集中しすぎて電波も入らないから、Twitterで何がどうなっているのかすらもわからない。

みんな黙ってひたすら待つ。。。それでもこういう場ですから、怒っている人も特にいなくて、みんな黙って待っています。すごい。。それを見た外国人もみんな黙ってひたすら待っています。

 

こういうときはデジタルよりもアナログが頼りになります。先程大福をくれたおばあちゃんが、警官のところにいって状況を聞いてきてくれました。

「15時に最終あるからそれに入れるかどうかだって」

もう14:40。全く動く気配なし。これは無理だな、15時まで待って帰るか。と決意。

 

ところが15:00になって急に列が動き始めます。一気に二重橋まで。

が、、うへー、二重橋の向こうまですごい行列。。

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そしてここで、警備の方から非情な通告が。

「今日の参賀は終了しました。このあとは、通り抜けの公開のみになります」

 

なんと、、まあ仕方ない。ここまで来たので、中を拝見させていただくか、と息子と話して歩いていくことに。

ここらへんから急に余裕をもって歩けるようになります。ふっと気がついたら、なんとうちら、今日の公開の最後尾列じゃん。。

なので後ろは宮内庁と警察の撤退作業が始まってました。

なんかディズニーパレードの最後尾列みたい。。

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歩く途中には報道カメラもたくさんいます。が、それに混じって警視庁のカメラもいくつかありました。顔認証して警備しているのでしょうか。怖いけどこうやって治安は守られるのだ、なんて息子と話していると、うしろで閉門されました。本当に最後尾列だ。

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その後は、外国人たちといっしょに、観光地ばりに写真をとりまくりました。人もバラバラだし、急がせる人も特にいません。息子と写真とりまくりました。

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宮殿前

初めて宮殿前にきました。テレビでよく見るのはここかー。

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いつもはすごい人、なんでしょうが、もう最後列なので、人も結構余裕あり。息子とここでも写真をたくさんとりました。

はしゃぎまくってピースばっかりする息子に、「ちょっとピースはやめたほうがいいかもね」と忠告だけはしておきます。

 

すると宮内庁がサービスで、午前の様子をハイビジョンで放映してくれます。録画といえども、皆沈黙で陛下のお言葉を聞き、涙ぐんでしまいます。

いたるところから、天皇陛下万歳、といった声も聞こえます。

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突然のサプライズ最終一般参賀

帰りの坂が大渋滞しているとのことで規制線がはられ、退場規制が入ります。まあ、急いでいるわけでもないし、そっちのほうが写真たくさんとれるし、いっか、と写真をたくさん撮ります。

そして、息子と一番中央の、いわゆる、一家が並ばれる場所の最前列で写真をとっていたところ、急に宮内庁の警備隊が現れ、整列をはじめました。

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ん?いつものことかな?さっきまでいなかったのに突然だな?と息子と話していたら、急遽、再度御出になられるとのアナウンスが。。

 

会場騒然。

ということで必然的に真ん中最前列を確保できました。なんという幸運。

 

そしてそれから10分後の、16:00、本当に陛下一家がおいでになられました。

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一瞬にして、凛とした空気が会場一体をしめます。陛下のお言葉に、その場の全ての人が耳を傾けます。周りの方は感動して涙流してます。5分ぐらいのことだと思うんだけど、この瞬間は本当に何事にも変えられない瞬間でした。なんかいろんな思いが一気にこみ上げてきて、本当に感動しました。

終わった瞬間から、会場一体の天皇陛下万歳

 

あのバタバタ感、本当に突然決まったんだと思います。最後の最後の参賀に訪れた人のために特例で最終回を追加されたこと、本当に感動しました。おつかれだろうに、本当に陛下は国民思いで頭が下がる、と周りの人たちも口々にお話しています。

やっぱりこんなことは本当に特例なんでしょうね。

headlines.yahoo.co.jp

平成本当に最後となった一般参賀を見れて、本当にいってよかった。本当に幸運だったし、本当に感謝しかないです。

さっきまではしゃいでいた息子も何か感じるところがあったみたいで、真面目に聞いていました。何か伝えることができたかな。

 

あの時の夢に近づけたか

これは今でも私の母が笑い話にするのですが、私の子供のころの人生一番最初の夢は保育園のときの「天皇陛下になりたい」でした。

(こんなのは本当に失礼ですが、、子供でしたし。。)

 

今でも忘れられないのですが、保育園の卒園式で、一人ひとりが自分のなりたい夢を話す録音が卒園証書授与のときに流れるという演出がありました。自分の前の田原くんが「仮面ライダーになりたいです」と流れて、「仮面ライダーなんて本当はいないんだからなれるわけないのに」と思い、自分の番で「天皇陛下になりたいです」と自分の声が流れたときに、保護者から笑いが出て、それが不思議でならなくて、「なんで架空の仮面ライダーは笑われなくて、天皇陛下になりたいのは笑われるのか」と家に帰って母に聞いたことを記憶しています。

 

祖父も祖母も戦争を体験したこともあって、家には昭和天皇の肖像写真がありました。別にそれほど強い思想があるわけではないのですが、やはり少なからずそういう影響もあったんだと思います。

 

子供の頃、なぜ「天皇陛下になりたかったのか」

それは決して、その地位になりたかったわけではなく、微笑みで人を幸せにし、お話で人を感動させる、手をふればこちらも幸せになる、そんなプリンシパルな人へのあこがれだったんだと思います。天皇陛下が話すことで祖父や祖母が幸せになり、涙を流す、そんな光景を目の当たりにし、自分もそんな周りに影響を与えられるような存在、そんな人間になりたかったのでした。

 

帰路の電車の中で、「楽しかったね」と話す、当時の自分と全く同じ年齢の息子を見ながら、いろんなことが頭の中をよぎりました。

あの頃と同じ年齢になった息子は何を感じとったのだろうか

自分はそんな子供の頃の夢だった存在に少しでも近づけたのだろうか

 

 

平成最後の一般参賀、本当に参加してよかった。

息子にも見せてあげれて本当によかった。

ありがとう、天皇陛下

 

 

 

 

 


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