読書 ちきりん著「自分のアタマで考えよう」を読んだ
だいぶ久しぶりのブログの更新です。
ちきりん氏の「自分のアタマで考えよう」を読みました。
- 作者: ちきりん,良知高行
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2011/10/28
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 30人 クリック: 893回
- この商品を含むブログ (153件) を見る
ちきりん氏のTwitter、ブログはいつもチェックしていて、その考え方には学ぶことが本当に多いのですが、数日前のちきりん氏のTwitterの書き込みを見て、ふと読みたくなりメルカリで購入して読みました。
本当に有名な名書なのでたくさんの書評やまとめがブログにあります。
それでも自分なりに考えることが多かったので、少し考えをまとめてみます。
特に心に残ったところ
- 思考は知識に騙される。
思考と知識は明確にわける。 - 最初に意思決定のプロセスを超具体的に決める
知らないことを知ることに熱中しない - 情報→思考→結論
作業を思考したと勘違いしない - 数字をみたら「なんでなの?」「だからなに?」の2つの問に答える
- すべての分析のスタートである比較は、縦と横
縦:時系列
横:他社比較 - 判断基準はシンプルに絞り込む
2☓2のマトリクスで - 自分自身の判断基準を作る
- 細部まで突き詰めて考えないと、思考を図にできない
不明確なまま残されていた思考部分を、図やグラフにできるまで考える - 思考の棚に、知識を整理して入れる
すると全体の意味が見えてくる
大量の思考の棚をつくっておくことで、情報感度を高めることができる - 知識を保存する=記憶する、ではなくて、思考の棚をつくる
思考の枠組みの中に、知識を入れることで洞察を得る - 空いている棚をいつも意識する
その棚に知識が入ると何がいえるのか、を意識する
気づき
- 改めて一日を振り返ってみると、一日で考えている時間は本当に少ない
実はそれは「情報の整理」だったり、「情報の加工」しているだけだったりする
これ結構怖いなと思って、そのつもりになっていることは確かに多い
考えること=「なぜ」「で、何なの?」をもっと意識しないと。 - 思考の棚はたしかに自分でも持っている、けど、大量の思考の棚が重要
数が多いことで、新たな組み合わせ、新たな意味創出ができる
自分は数があまりないがそこにたくさん入れている。
ではなくて、たくさん棚をもって、知識が空いている棚を意識すべき。 - 最近は知識の取得と整理に注力しすぎていて、自分で考える時間が少なかったもなあと痛感。それが要領がいいと思っていたふしもある。
もっと、「自分のアタマで」深く考える癖をつけていかないとなあ
今後
- アウトプットを意識したインプットをしていこう
そのアウトプットは自分らしい視点なのか、ちゃんと自分で考えたのか - 思考の棚をたくさんもとう
もっともっと視野を広く
令和になって思ったこと
令和になりました。この二日間は、多くの日本人がそうであったように、感謝の気持ちと、将来への新たな期待の気持ちでいっぱいでした。
特にここまで日本人が「天皇」という存在に思いをよせ、改めて考える機会はあまりないのではないかと思います。多くの方が皇居に出向き、そして最後のお言葉と最初のお言葉を、リアルタイムで見たことだと思います。
そんな存在に本当になりたかった、ということは以前のブログでも書きました。
maato.hatenablog.com平成の振り返り
これはたまたまなのですが、GW前半で妻が急用で実家に帰ることになったので、私は息子と実家に帰り、のんびりしてきました。
平成最後にやり残したことは?と考えたとき、何か新しいことをやらなければ、というより、この30年の思い出の場所をたどりたいな、と思っていた自分には、たまたまとはいえ、とてもいい時間でした。
いつもよりのんびりした時間を過ごすことができたので、久しぶりに懐かしい場所をいろいろ探索してきました。保育園、小学校、中学校、近所の友だちの家付近、昔よく一人でいった田んぼど真ん中の踏切、小学校の頃よく行った山や交通公園。息子とたどりながらの日々でした。また、祖父母の墓参りもできました。中学卒業と同時に地元、親元を離れて一人暮らしをしているので、本当に何十年ぶりに訪れた場所は思い出せないぐらい変わっていたり、あるいはそのまま古くなっていたり。時間の経過を感じましたが、確かにそこには古き良き記憶がありました。
令和になって思うこと
「令和になってどんな時代にしたいですか」という問いに対して、「平成はどんな時代でしたか」という問いも対になるのではと思っています。
私にとって、平成は「育ててもらった時代」でした。小学生、中学生、高校生、大学、就職と本当にいろいろな方、家族、社会に育ててもらった時代だと思っています。
そんな私にとって、令和は「恩返しをしていく時代」だと思っています。今度は私が息子を育て、また社会に貢献し、恩返しをしていく番。ここからは気持ちを新たに社会に、これからの時代を担う若手や子どもたちに、貢献していきたいと思います。
奇しくも、自分が平成を迎えたと同じ年頃の息子が、今度は令和の時代を迎えました。
きっと世の中はそういうふうにできているのかなと思った二日間でした。
20190424 クロ現+「ファン・ファーストで売上10倍! スポーツに学ぶ最新戦略」
今日のクロ現+は「ファン・ファーストで売上10倍! スポーツに学ぶ最新戦略」というタイトルで、非常に参考になったので、メモをまとめてみます。
これからはちょくちょく、こういうメモ的なものもブログに備忘録として書いていこう。
www.nhk.or.jp
ファンファースト戦略
コアファンを大切にすることで売上と観客数の拡大するスポーツチームが増えてきた。
例)Bリーグ、3年で売上10倍、観客動員数1.5倍
例)DeNA、1年でファンクラブ会員数1.6倍
Bリーグ、千葉ジェッツの例。コアファンが繰り返し訪れたく成るような施策を打つ。
例)試合開始前の音と光のショー、ショーと同期するグッズ、一体感の創出
例)社長がコアファンとふれあい、ニーズを拾い、そく反映
例)来場やグッズを買うとポイント入手。貯めると選手と写真がとれる
コアファンがさらにコアファンをよぶ仕組み。さらにファンがSNSで発信
テレビの放映権収入が下がってきたため、自立した収益モデル構築へ取り組んだ結果。
変わるチーム運営戦略
変化前)多額の金で選手を強化すれば、ファンが増えて経営が安定する-->ライジングゼファーフクオカの失敗
変化後)ファンを増やせば経営が安定し、選手を強化できるお金が増える-->千葉ジェッツの成功
海外へのファン拡大
コンサドーレ札幌のチャナティップ(タイのメッシとよばれる)の成功。
海外のコアファンを作る。タイから団体ツアーでくるようになった。結果、タイ観光客にビジネスしたい企業があつまり、広告収入アップ、クラブ収入3倍。
これはJリーグ全体で取り組んできた。アジア選手のJリーグへの招聘の取り組み。アジアにおけるJリーグファンを増やしてきた。
DAZNの戦略
(公平な放映のために全員から料金を徴収するNHKに、みたい人がお金払って見たいものをみるDAZNが飛び込んできた形なのに、なんか質問が一方的だった感じ。。ビジネスなんだから、ある程度不公平も仕方ないし、両方あることが重要だと思うのだが、、)
まとめ
番組内でも触れていたけど、この話はまったくもって、スポーツビジネス以外にも通用する、サブスクの話。ファンが重要、ファンファーストって簡単にいうけど、じゃあ実際どうやってそれを実行していくってのは、なかなか難しい。そのヒントを教えてくれたと思う。
例えば、「コアファンをどう作り出すか」「一体感の創出」「コアファンにリピートしてもらうためにどうすればいいか」「抜本した運営戦略の変換(逆転)」
今の会社のビジネスにも通じるところが非常に多く参考になる、と思います。
ノートルダム大聖堂の火災から考えた3つのこと
この4月から子供が小学生になりました。その結果、家族全体の朝の時間が1時間早まりました。睡眠時間を削るわけにもいかないので、当然就寝時間も1時間早くなり、その結果、夜のパソコンや本に向かう時間が、朝の子供のコラショタイム(お勉強時間)をみることになったり、朝食を一緒に過ごしたり、子供の歯磨きや準備を手伝ったり、というスタイルに変化しました。
小さな変化ですが、きっと歳をとるというのはこういうことなのだろうなと思っています。で、その結果、書こう書こうと思っていたブログや別サイトもおろそかになりつつある。。
ノートルダム大聖堂の火災
そんな中、世界的な遺産であるノートルダム大聖堂が火災に見舞われるという大変な事件がおきました。私も何年か前に妻と見にいったことを覚えています。そんな日本人の私ですら非常に残念であるのですから、特にパリ市民にとってはとても大きな悲しみであるのは想像に難くありません。デジタルデータや3Dデータがあるから完璧に復元できる、というニュースも見ますが、やはり積み重ねてきた歴史がそこにはあります。そう簡単なことではないと思います。
そんなニュースや記事を(ネットでしかみてない情報なんですが)見ながら、通勤中に3つのことを、(かなり勝手に妄想して)考えていました。自分の備忘録として書き出してみたいと思います。
1.機械と人間の責任
このブログを書いている時点で、出火の原因はまだ特定されていません。ただ改修工事がおこなわれていたことから、その工事が何らかの関係があったのかなと想像されます。今後詳細な調査が行われるでしょう。
その状況で勝手な妄想をしていました。これが故意の出火原因ならば問題は違います。が、仮に過失だったとして、さらに工事最中の何らかの作業が原因だったとして、それが作業員による過失だった場合と、何らかの制御装置の誤作動が原因だった場合、どう受け止め方は違うのだろうかと妄想していました。
制御装置の制御プログラム的な誤作動、バグだった場合、めちゃくちゃそれを作った企業は叩かれそうな気がします。誰がこれを作ったのか、なんでテストしてなかったのか、なんでこの仕様だったのか、ちゃんと説明書どおりに使ったのか、などなど。
一方作業員がたまたま過失で、例えば火花が散ってしまって、今回の火災が起きたとしたら、どうだろう。。ちょっとあまりに今回の失ったものが大きすぎて、とてもその特定個人を責めるつもりには至りません。。
機械(制御装置、もうちょっというとAI?)だったら叩きやすく、人間だったら叩きにくい、そんな心情が、自分の中にはあります。この差はどこから生まれてくるのだろう。
似たような状況は実は最近のニュースの中でもありました。立て続けにおきたボーイングの墜落です。これも操縦士が悪かったのではなく、ボーイングの制御装置の不具合でした。結果、ボーイングはめちゃくちゃ叩かれ、とんでもなく株価が下がり、トランプにぼろくそ言われています。無論今回の墜落事故だけでなく、これまでの事故対応も含みの話なのでしょうが、何か似たようなところを感じます。
そしてさらにこれからの時代の自動運転のいわゆるトロッコ問題にも通じる話でもあります。
2.同情の境界線
これも勝手な妄想なのですが、仮に作業員の過失だったとして、じゃあその人に責任をとってもらおうかというと、責める気にもなりません。今回失ったものの代償があまりにも大きすぎて、また過失だからこそ、特定個人を責めるのはかなり気がひけてしまいます。確かにその場合は企業の責任だというのも重々承知はしているのですが、それでもやはり作業員が誰だったのかもわかるわけだし、現場にいた人は何かしらわかってしまうので、何かそこを追求する気にも私はなりません。
一方これが、例えば小さな空き家だったらどうでしょう。過失だったとしても、なんでそんなことやってるんだ、ってたたいちゃいそうです。
自分の中でどこにこの、「同情の境界線があるのだろう」と考えていました。1件だったらダメで、10件だったら同情?いやその1件の価値は何だ?歴史?価格?
これも似たようなことがあったなと思い出してみると、2016年の新潟、糸魚川の大火でした。あのときは144軒が延焼しました。原因は一軒のラーメン屋の主人の不始末。ただあまりにも影響が大きかったし、風向きという不運も重なったので、なんとも責めようのない気持ちになったことを覚えています。
今見直すと、判決は火事としては重い、禁錮3年。ただし、144軒の家族の大切な家を延焼させた罪に対して、この判決が重いのかどうかは、私にはよくわかりません。。
3.過失への寛大さと未来優先
ここまで考えてきて、実はこれが一番いいたかったことなのですが、この2日間で、ほとんど何が原因なのか、あるいは責任追及をおこなうようなニュースをほとんど見なかったことに気づきました。パリ市民も、悲しみにくれて祈りを捧げる映像は見たのですが、怒り狂う映像は見ていません(実際はあったのかもしれませんが、少なくとも見ていません)マクロンも真っ先に行ったのは、5年後の再建のコミット。そして大企業の再建のための巨額の寄付。
これ日本だったらどうなんだろう。。責任追及、工事関係者へのマスコミインタビュー、下手したら謝罪要求。。
宗教観や価値観、さまざまな要因こそあれ、「過失への寛大さ」が圧倒的に違う、、と痛感しました。とかくちょっとした過失も許されず、当たり前のようにやることが正しく、ちょっと過失しただけでSNSで叩かれる、まるで総国民総監視のような世界の中で、この圧倒的な違いを目の当たりにし、なんか頭をぶん殴られたような感覚になりました。
宗教に関しては詳しくはないのですが、キリスト教は罪を懺悔することで赦しを受けるのに対し、仏教はすべての原因は自分にあり罪を重ねることによって苦をうける、という考えの違いも影響するのかもしれません。
nichirendaihonin.hatenablog.com
宗教の違いが原因であるかどうかは別にしても、この考え方の圧倒的な違いには衝撃をうけました。
今回もパリ市民がアベマリアを歌い祈りを捧げる映像がTwitterで流れてきました。似たようなことは2年前のマンチェスターでのテロ事件あとにも起こったことで、その際は、Orasisの「Don't Look Back In Anger」が歌われています。
Don't Look Back in Angerは、今の私たちにふさわしい歌です。
私たちは起こったことに対して後ろ向きになってはいけない。前を向かないと。
こうやって、みんなで一致したどうにも抑えきれない感情を、合唱という形でわかちあう、って何か素敵だよね。
まとめ
これは日々の仕事の中でも思うのですが、一生懸命やってそれでも過失あるいは、失敗したこと、できないことにもっと寛大になってもよいのではと思っています。もちろん営業、数字はそんなこと許すとはいえないのですが、その過程はもっと暖かく見守るべきなのかなと最近思うようになってきました。
自分も若いときはそうだったのですが、他の組織、他の人のやり方を悪くいうことで、自分および自組織の正当性の証明に使おうとする人は、やはり少なからずいます。まず何が悪いのかから話が始まる。もしかしたら社会そのものがそうかもしれないし、課題解決アプローチになれてきた結果なのかもしれません。そういう人ほど、PDCA、PDCAっていってる気がします。つねに課題や問題点を見つけたいのかもしれません。
最近自分で感じるのですが、歳をとってきたせいか、そういうのにも自分も(こう見えても)少しずつ寛大になってきたし、むしろもっと失敗例から学びたいなと思うようになってきました。思えば社会も、ネットも、会社の週報も、成功した話ばかりのような気がします。成功ばっかりフォーカスされて拡散される。みんなそれに必死。正直聞き飽きて、聞き疲れてきたし、学ぶことも少なくなってきた。それよりむしろ、一生懸命やった人の失敗の話を聞きたいし、自分も恥ずかしげもなく共有していきたい。いわゆる失敗学ですね。そしてそういう失敗を共有する人を評価する、失敗を共有してもいいのだ、という環境づくりもしていかないとなあと思っています。
そしてその後、当然、「では何をすべきか」を議論しなくてはいけません。そこはどうするか。私は今回のマクロンをみて「何よりも先に5年後の再建をコミットする」姿に、ものすごいリーダーシップを感じ、感動しました。まずはみんなで一致団結して進むべき姿を見せるのだな、と。
「現状はいろいろあるが、何よりもまず先に目指す姿を提示する」「失敗を許容でき、むしろ胸を張って共有できる”場”を作る」
歳をとり、限られてきた時間の中で、これから自分はそこにもっと注力していこう、と思ったのでした。
まずは明日の朝の、息子のコラショタイム、からだな。
さらに、明日の息子の人生初の検尿も寛大にいかないと。
ゴミ拾いの価値は何か
最近立て続けに「ゴミを拾うこと」について考えさせられる動画やニュースを見たのでまとめてみました。
1.プラスティックゴミが「通貨」に変わる取り組み
画期的なのはその回収の仕組みで、回収されたプラスチックを現金ではなく一種の仮想通貨で買い取るとともに、その仮想通貨を使って食料や水、日用品などを購入できる仕組みをつくり上げたのです。
既にいくつかの途上国で取り組みが開始され、現地の回収員が日々たくさんのプラスチック廃棄ごみを回収して、生活の糧を得ています。廃棄プラスチックを再利用するエコシステムを構築したことにより、プラスチックバンクは海洋汚染と貧困層の救済の2つの問題解決に活路を見出したのです。
拾ったゴミが仮想通貨となってそのお金で買い物ができるそうです。
2.今、ゴミ拾いがクール! #Trashtag チャレンジ
#Trashtag (Trash=ゴミ)チャレンジ。Instagramではやっているそうです。
ゴミ拾いをする前と後を比べる写真をタグをつけてSNSに投稿する運動だそうです。
3.渋谷の「ゴミ拾い侍」
劇団員が実施しているそうで、日曜の午後、渋谷に現れるそうです。
4.中国(?)の光景
たまたまTwitterでみつけました
https://twitter.com/GY18164253/status/1106738870060756992
https://twitter.com/GY18164253/status/1106738870060756992
— G. Y (@GY18164253) March 16, 2019
ゴミを拾う「価値」ってなんだろうね
ゴミを拾う「価値」ってなんだろうね。って思うわけです。
正確には1番最初の取り組みは「ゴミ」ではありません。「資産」拾いです。「ゴミ」ならば、プラスティック以外も対象としなければならないので。再利用できるプラスティックだけを買い取るので、いわゆる空き缶の鉄買い取りと同じ、”資源ゴミ”の回収ですね。
それはおいといて、「ゴミを拾ったらお金をあげるよ」といったら拾いますか?いくらだったらやりますか?
そう聞かれると、みなさん思うとおり、1−3は背景が大きく違います。1の拾っている人たちのモチベーションは、生活のためのお金がほしいです。一方、2,3は「善意」がモチベーションになっています。ここは大きく違います。同じ「行い」でもそのモチベーションが全然違います。
楽天レシピとクックパッド
ちょっと前にみたこのブログ、これもおもしろいです。
komugi.jp楽天レシピはレシピを公開することで楽天ポイントが貰える。その仕組がゆえの、ソーヤー効果の弊害について述べています。
報酬が金銭的インセンティブに変わると、「たのしみ」でしていた作業は「報酬をもらうため」という別の動機づけに置き換えられてしまい、とたんに「たのしくなくなる」のです。
おもしろいなあと思うのは、クックパッドのここがいい、といっているわけではないのです。この楽天レシピの、ユーザーのことを考えて仕組をつくったがゆえに、勝てないといっているのです。(ちょっと昔のブログだけど、最近はどうなんですかね)
イチローと国民栄誉賞
この話は、行動経済学ではよく言われる話で、いわゆる「アンダーマイング効果」といわれます。そしてよく言われる例は、今日日本凱旋した、イチロー。そのイチローが国民栄誉賞を2度も辞退したのは、自分のモチベーションを保つため、といわれています。
価値は人それぞれ、背景もそれぞれ
きっと、「行い」に対する価値観は人それぞれ、その背景も人それぞれ、だと思うのです。ただそれをよく考えずに一律なものを設計してしまうと、思わぬ弊害が出ることもあります。
例えばゴミ拾いをしたらお金をあげる、その制度を作ったら、もはや、誰も見ていないところでゴミを拾う人はいなくなるかもしれません。もしくはお金を稼ぐためにゴミを捨てる人がさらに増えるかもしれません。その結果、誰が一番得するのだろう。
一方で、後進国のようなゴミと貧困が目下の課題として存在するような環境では、そのような制度も効くのかもしれません。永続的ではないにせよ、一時的には効果がありそうです。
ここらへんのモデル設計は非常に難しいです。
ちなみにAIによるダイナミプライシングが普及する今、行為だけでなく、モノの価値すら人によって異なります。同じチケットでも1000円で買う人もいれば、2000円出す人もいる。すこぶる当たり前といえば当たり前ですが、今まで以上に「価値」を個人が意識する必要があります。
ここらへんはちょっと前の「人間ってナンだ?」のシーズン2 #6で触れられていました。
まとめ
なんでこんなことを書いたかというと2つあります。
1つ目はボランティアでやっている、中高生のビジネスモデルアプリコンテストの、ビジネスモデルのメンターをやっているのですが、中学生がもってきたビジネスモデルがこの課題に親しいビジネスモデルをもってきているのです。非常におもしろいのですが、考えれば考える程、深いなあと思います。
2つ目は特にブロックチェーンに関わるようになってこういうビジネスモデル設計を考えることが増えました。というか毎日考えています。これが仕事みたいに。
ということで、ね、ブロックチェーン、おもしろそうでしょ。
是非イベント来てみてください。一緒にやろう。
oracle-code-tokyo-dev.connpass.com
大阪出張から考えたChallengeとChangeの関係
昨日久しぶりに大阪に出張でいってきました。早朝6時台に家を出たのですが、東京は冷たい雨。大阪も肌寒い曇空で、ときおり雨が降るような天気でした。
大阪は大学、大学院時代に計6年間住んだ街。大阪を離れてから16年。大阪駅付近もすっかり変わり、あれだけよくいっていた梅田界隈もすっかり道がわからなくなり、迷路のようです。
ただ、自分の中でずっと変わらないものが、やはり今回もありました。
御堂筋線の電車接近メロディ
変わらないもの。それは御堂筋線(もしくは北大阪急行電鉄?)の電車接近メロディです。なんのこっちゃいな?という方、こちらです。
youtu.beこのメロディが、大好きなんだけど、ほんとダメです。トラウマ的にダメです。胸が締め付けられて、痛くなり、苦しくなります。新幹線おりて、新大阪から御堂筋線に乗って移動しようとしたとき、いつもホームでこの音を聞くと、胸が痛くなります。完全なトラウマです。
なんでこんなことが起きるのか。
高校時代に、大学受験のため新潟から大阪に来ました。ここが大本命の大学でした。季節はまさに今と同じ3月。その年は大雪だったこともあり、また、新潟から大阪は普通なら、富山、金沢といった北陸経由なのですが、大雪で電車が止まるリスクも鑑みて、受験日の二日前に、新潟ー東京ー大阪という新幹線経由で受験にきました。
その時に二泊したのが、まさに江坂のホテルでした。
東京にも数回ぐらいしか来たことないのに、ましてや大阪なんてきたこともないのに、一人で受験に来ました。なぜ一人だったのかは全く覚えていません。おそらく、親もついていってあげるといってくれたんだと思います。ただ、自分のことですから、ましてやあの年頃、きっと一人でいく、と断ったんだと思います。
いざ来てみると、一人、不安と孤独と緊張の極限の中で過ごした2日間でした。誰とも話すこともない、当然携帯なんてない時代ですから、親とも話ができない。泊まり慣れてない小さなビジネスホテルの中で、いざ勉強をはじめてみても、不安と緊張で仕方ない。
そんな中で聞いていたのが、江坂駅の、あの「電車接近メロディ」だったのです。不安と孤独と緊張の絶頂期の中で、田舎から一人出てきた自分を迎えたのがあの音楽でした。
それ以来ずっとトラウマです。あの音楽を聞くたびに、あの18歳の、不安と孤独と緊張の極限の中にいた自分を思い出し、今でも胸が痛くなります。そしてあの時も、昨日と同じく、冷たい雨が降る日でした。
あれから22年が立ちました。時が経つのは早いと同時に、そこまで長く続くトラウマに、トラウマというものは一生消えずに付き合っていくんだなあと思いながら新大阪のホームに立っていました。
22年
22年。その年月は長くもあり短くもあります。
おとといのことですが、「After 22 years...」というタイトルのメールで、22年私と同じ会社に働いた、HQに働く親友が会社を去るということを知りました。
彼とは本当に、気の合う、同僚でした。二人で海外のいろんなところにいったり、東京にきたときは浅草とか観光したり、京都いったり。HQにいったときはいつもランチしたり、二人でバーにいって飲んだりしました。毎回会うときはお互いにプレゼントを持ち寄り、彼の家にもいって彼の奥さんや娘さんとも仲良くしてもらったり、私の息子のThanksコメントビデオを送ったりもしました。
また、彼はとてもWitに富み、グローバルの、社員、お客様からも本当に信頼の熱い人でした。自分だけでなく、日本でも多くの人が本当にお世話になりました。
そんな彼は、「今まで提案してきたことを、今度は自分でやってみたくなったんだ」といい、新卒から22年働いた会社をさることを決断しました。そのメールをみて本当に泣きそうになってしまいました。そして昨日の新幹線の中はそればっかり考えていました。
ChallengeとChangeの関係
そんな彼は、実はちょっと保守的なところもあり、また、静かにきっちり確実にしっかりやることを望む性格でした。
また、いつも私と話しているときに、ぐちになったり、少し後ろ向きな話になったときにはいつも「We have to Change」というのが口ぐせでした。しかも、私にいうと同時に、ぼそっと自分に言い聞かせるようにいうのが彼の特徴でした。私はいつもそれが印象に残っていました。変わらないといけないんだよという一方で、実は自分自身に言い聞かせているのではないか。
そして何より、Changeという言葉。なぜChallengeといった、前向きな言葉でないのだろう。Changeという一種受け身とも捉われる言葉なんだろう、Challengeみたいな活動的なアグレッシブな言葉を使わないのも彼らしいなといつも思っていました。
でも新幹線で考えているときに、ふとみたサイトでわかったのです。
Challgenge to Change。つまり、Changeが目的。Challengeは方法論。Challengeなんてしなくてもいい。ただ、少しでも変化していくこと、それ自体が重要。とにかくChangeしていかないといけない。Changeしていけばうまくいく。
彼はいつもそれを私に教えてくれていたのだと思います。俺たちは変わっていこう、と。
富士山を見ながら
そんな彼と最終出社日の今朝、電話で会話しました。やはり人気者で、2人が部屋を訪問してきていて10分予定より遅れ。彼らしい。
こんなとき、英語でなんていうんだろう、うまく伝えられるのかなあ、なんて思いながらも、いつもと同じように、お互いの今までのこと、家族のこと、そしてこれからの夢を語りました。電話する前は、俺泣いちゃうんじゃないかって思ってたけど、でも相変わらず彼のWITな話を聞いて、それどころじゃありませんでした。
そんな彼に、リアルタイムで眼の前の光景の写真をとって、Slackでおくりました。なんて素敵な光景をありがとう、と彼からのメッセージ。
今日は本当に朝はやくから青空で、富士山がきれいに見えました。
ブロックチェーンとイノベーター理論
少し前にこんなブログを書きました。そこでは、Business Developmentを担当している私は、(みんなが思っているより)真面目に考えていて、特にイノベーター理論のどのフェーズか意識しているよ、って書いてみました。
maato.hatenablog.comそのブログの中で以下のような記載をしました。
正確な数字がないため、感覚的なものだし、日本においての感覚(とはいえ、グローバルやアジアの状況もグローバルで聞いているので日本だけでなく、包括的な感覚ですが)で記載したのですが、ちょうどブロックチェーンを開発してるHyperledgerがおもしろいことをTwitterでつぶやいていたので、備忘録として記載します。
ブロックチェーンは既にキャズムを超えてる??
その興味深いつぶやきはこちら。
And that is a wrap #MWC19 The message is clear, now is the time to invest in blockchain for telecoms. A big thanks to all our community members who participated and members like @Telekom_group @T_Labs @IBMBlockchain @Oracle who shared @Hyperledger solutions at their booths! pic.twitter.com/dzgRWQDrJ7
— Hyperledger (@Hyperledger) February 28, 2019
先週行われたMobile World Congressに合わせてのつぶやきで、「まさにブロックチェーンは通信会社がインベストする時代」「IBMやOracleたちブース手伝ってくれてありがとう!」といったつぶやきでした。
何より興味深いのはこの図です。
なんと、その、まさに今ブロックチェーン投資に熱い通信会社は、アーリーマジョリティーにいます。キャズムの後。つまり、ブロックチェーンの技術はすでにアーリーマジョリティーの世界に突入した、といっているのです。
まじか、すでにそこまでいってるのか??それってグローバルだよな?やっぱり日本は遅れてるの?てか、俺の感覚がおかしい???
当然ながらの疑問も
ただ当然ながら「何を対象としているのか」という疑問もあります。当然、私同様の驚きと同時に、それに突っ込んでいる人もいました。
Is this % of companies _investing_ in blockchain or those with _production_ blockchains? The fact that blockchain for the enterprise is anywhere near the “Early Majority” is shocking to me.
— Ty Wince (@tylerwince) March 1, 2019
まあ、そうだよね、俺もそう思う。The fact that blockchain for the enterprise is anywhere near the “Early Majority” is shocking to me.だよ。
本当のことはどうなんでしょうね。
でも参考になる
以前のブログでこんなことを書きました。
重要なのは、今話ている製品(技術)はどのフェーズにあって、目の前のこの方はどこに所属される人なのか、だと思います。それがはまればはまるし、はずすと、何いってんだこいつ、って感じになります。その見極めを楽しみながら、ギリギリのところを見つけだすのは結構楽しいです。
当たり前ですが、実際は、今までの経験、勘、ニュース、会社規模などで、会う前には、「きっとこの人(会社)はここの分類に所属されるんだろうなあ」と仮設を立てていきます。 なるべく外さないためにも。ただもちろん例外部署だったり、例外な人もいるわけで、その意外性のところが、”ギリギリのところ”で楽しいわけです。
でも、上記Hyperledgerの図は、「このユースケースに興味がある人」あるいは「この分野の人」はこの分類になるよ、って表示しています。これって結構新鮮だし、ありがたい情報です。参考になります。
個人的には通信はもうちょっと前フェーズに分類されてもいいと思うんだけどなあ。
まとめ
世の中考えてみると、結構セオリー通り、イノベーター理論を使ってメッセージ出してるんだなあと気づくことが多いです。そしてそのメッセージや取り組みも非常に参考になります。
意識して世の中を見るかどうか、だけでも大きな差になっていくのではないでしょうか。
https://twitter.com/tylerwince/status/1101289800823234560